超・格差社会アメリカの真実
超・格差社会アメリカの真実 小林由美著 日経BP社 1700円+税
ISBN 4-8222-4542-X
Nickel and Dimedを読んだあと、なぜか格差社会、ワーキングプアといった題材を扱った本を立て続けに読んでいる。自分自身の来た道を振り返って、無関心ではいられないから。
私はどうにか大学に合格した後、すぐに自活できるようにアルバイト先をいろいろ探した。自分の親が信じられなかったから。悪いことに予想は当たり、夏休みになる前に、それまでもわずかだった仕送りは途絶えた。母親に確認すると、父親が友人の借金の保証人になり、金がなくなったからとのことだった。
ちょっと意外だった。父親自身の借金で破綻することを予想していたから。父親は賭け事に使っていたのか、女に貢いでいたのか、以前から借金を作っては、田舎の親や母の里に迷惑をかけていた。
父は勤めていた国鉄を退職して借金を返すことになり、私は一切親の力を頼らずに生きていくことにして、母親に預けていた銀行通帳を返してもらった。送金先をなくすために。
さて、本題に戻り、この本はやはり、勝者の論理で語られているのかなと感じた。
『キャリアは誰か(会社)から与えられるものと言う前提もおかしい。人生は与えられるものと言う発想は、身分制度があった時代なら止むを得なかっただろうが、幸いにして日本にはカースト制度はないし、地理的な移動も自由だ。さまざまな差別も解消されてきて、転職に対する偏見も薄らぎ、機会も増えた。もはや押し付けられたキャリアや人生設計に従う必要がなく、自分で人生を作っていけるようになったのは、むしろようやく手に入れることができた権利であり、機会ではないだろうか?』と筆者は述べる。
これもまたアメリカ型勝者の視点から言えることで、今現実に格差が広がっているのは、地方で生まれ育ち、そこから出ることができない、あるいは出ることを選択として考えない人の問題が大きい。確かに、それぞれの地域で暮らすことは個人の選択でもあるのだが、もし経済的に豊かになりたければ都会へ出ろと極論するのであれば、日本全体の問題につながるだろう。南西諸島の孤島が住む人がなくなり、中国の野望の対象となっているように、経済原則だけでは語れない要素がある。
格差をすべて政府や企業の問題とする立場は受け入れられないが、都会と地方の格差を自由経済の名の元にそのまま放置しておくこともまた許されないだろう。
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