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2007年6月19日 (火)

貧しさは再生産するか?

二日前の日曜日は授業参観で子供の学校に行ってきました。まだ、小学校1年なので、授業と言っても本当に簡単なことばかりで、自分がその頃にそんな授業を受けたかどうか、その頃にどんなことを思っていたかは遠い記憶で思い出しようもありません。多分、思い出せるのは3、4年くらいまで大きくなってから。
国語の授業は、教科書で物語と言えるほどには長くはない文章を生徒達に読ませ、その文章で何を伝えたいか考えさせるものでした。教室の後ろから、自分の子供を含め、生徒達の様子をうかがっていた私は、やがて一人の男の子の様子が気になりました。先生の言うことに全く注意を払っておらず、読み進む教科書のページを追っていないことはすぐに分かりました。その男の子にとって、国語の授業の40分は、おそらく何も意味のない時間。40分間がただ過ぎ去ることをぼーっと待っているように見えました。先生にとってもそれは明らかであるため、その男の子のそばに来て、本のページを直したり、姿勢を正したりしていましたが、三十数人も生徒がいるのに、その生徒だけにかまっていることもできません。たとえ、二十人以下の少人数であっても、それは難しいでしょう。
見たところ、そこまで集中できない子はその子だけでしたが、もし、もう何人かいたら、授業そのものを成り立たせること自体が難しくなるのではと思わされました。
何となく、暗澹たる気持ちになった私が思わず考えたのは、この記事につけたタイトルの言葉でした。その男の子が必ずしも貧しい家庭とは限りませんが、何となくそう思わされたのです。
ベトナムとは比べようもなく豊かなはずの日本ですが、成熟した中の格差は、全体が成長している社会の中の格差とはまた違った意味で厳しく影響するのかなと考えてしまいました。

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