2008年6月22日 (日)

みんなが同じ行動?

バブル崩壊?でも書いたのですが、現在べトナムの株式・不動産市場は低迷を続けています。土地取引はべトナム人の最も好むところで、猫も杓子もという状況だったのにこの冷え込みは???本当だったら高値で買えなかった人間が、値が下がったのを好機に飛びついても良さそうなものだけど。
日本人も皆と同じような行動をしていれば安心という傾向が強いけど、べトナム人もそうした傾向が強いんでしょうか?連れ合いも先日までは土地を買う買うと言っていたのに、ここ最近はおとなしくて不気味です。
最近、『金持ち父さん 貧乏父さん』を書いたロバート・キヨサキのコラムを読んでいるのですが、その中の‘The Greater Fool Theory(より愚かな愚か者の理論)’が、一時期のべトナムの不動産熱をまさに表しているような気がしました。人のことは笑えないのですけどね・・・

http://money.yahoo.co.jp/column/company/ead/celebrated/person4/060728_person4.html


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2008年2月18日 (月)

ターメリック2

ベトナム人留学生のところで子供が生まれたというので、先日お祝いに行ってきました。行くと奥さんの顔がまっ黄色で、産後の肥立ちが悪く黄疸でも出ているのかと心配してしまいましたが、これが、なんとターメリックを顔に塗り立てているためだったのです。なんでも、肌のつやをよくするのだとか。確かによく見ると、手の一部はまだらになっていて、上から塗ったのは明らかです。
ターメリックが、胃腸の改善薬として日常的に使われていることは前にも書きましたが、お肌にもよいというのは、知りませんでした。
生まれてから二週間の赤ちゃんはとても小さく、自分の子供にそんな時期があったのももう思い出せないくらい昔に感じてしまいました。

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2008年2月17日 (日)

ドレスデン

先日、ドレスデンに行ってきました。旧東ドイツ地域は初めてだったので、どんな感じなのか興味津々でしたが、統一後17年も経ち、旧東ドイツだからという感じは、特にしませんでした。
ドレスデンの街は、旧市街と新市街に分かれていますが、その境にはエルベ川が流れています。

Dresden3

ドレスデンの街は第二次大戦末期にアメリカ軍の大空襲をうけ、街は完全に破壊されてしまいました。街のシンボルでもあった聖母教会は戦争の悲惨さ(アメリカ軍の酷さ?)を忘れないためにずっと瓦礫のままに捨て置かれていたそうですが、統一後再建され、現在は元の形に戻っています。その再建というのが、瓦礫の中から壁の様々な部分を探し出し、どうしても見つからないものだけ、新たに作るということで世界最大のパズルと呼ばれていたそう。今、外観は古い部分の黒と新たに作った明るい色でまだら模様でした。
破壊し尽くされたドレスデンの中でも奇跡的に残っていたというのが王者の壁。歴代のザクセン候を壁画に描いたものだそうです。


Dresden2

街の中心にはツヴィンガー宮殿というザクセン候の宮殿があり、今は美術館として使われています。ルネッサンスあたりの絵画がたくさんあるというのは、その当時の富の蓄積を物語っていて、その頃の絵を日本で見ることができない日本人としてはうらやましい限りです。

Dresden1


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2008年2月 5日 (火)

記録的寒波

ベトナムは連日、記録的な寒さに震えているようです。北部国境地帯では、氷点下になっているところも多々ある模様。

以下VNExpressのニュースです。
http://vnexpress.net/Vietnam/Xa-hoi/2008/02/3B9FF0C1/
http://vnexpress.net/Vietnam/Xa-hoi/2008/02/3B9FF00B/

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2007年12月24日 (月)

クリスマスマーケット

先日、ドイツに行ってきました。この時期は、やはりクリスマスを控え、街がクリスマスムードに完全に染まっていました。全然知らなかったのですが、クリスマスマーケットというのが各町で開かれ、人々はそこでホットワインを飲み、買い物に高じます。私が訪れたのは、南ドイツの地方都市でしたが、教会の前の広場がマーケットに変わっていて、びっくりしました。

Christmas_market1

マーケットはだいたい、12月に入ってから開かれるのが普通らしいのですが、町によっては少し早めに11月の最後の週から始まっているところもあるそうで、私が泊まっていたところは11/27からやっていました。ほっとワインはワインに砂糖と何かのリキュールを入れて、体が温まるようにしたもので、カップの保証金として2ユーロほどとられますが、返却して保証金を取り戻すのもよし、記念に持ち帰るのもよしということで、私はあちこちのカップを持ち帰ってしまいました。


Christmas_market2

マーケットによっては、キリスト生誕の状況を人形を使って表していたり、そこには本物の羊を放していたりと、見て歩くだけでも楽しいものでした。また、少年達の聖歌隊?がクリスマスの歌を歌っていたりして、思わず、足を止めてしまいます。マーケットの価格は普通のお店よりも高めに設定されているとのことですが、やっぱりクリスマスマーケットで買うのが楽しいから、みんなつい散財してしまうんだよと、日頃は締まり屋のドイツ人も財布の紐を緩めてしまうようです。


Christmas_market3


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2007年12月10日 (月)

台湾にて

久しぶりに台湾に行ってきました。
車窓から見る台湾の街では、少し思い込みもあるのですが、またベトナム料理のお店が増えているようでした。あれだけ散々トラブルに遭う人間もいながら、以前にも書いた理由によるのか、越南新娘は減っていないようです。
空港の到着ロビーで労働力輸出と思われる一団を見るのも台湾に行った時に必ず見る光景です。今回は中国系の若い男女の集団でした。中国本土からの招聘にはさすがに制限があるでしょうから、マレーシアなどの東南アジア諸国からの来台でしょうか?台湾経済にとっては、海外労働力の活用は欠かせない要件となっていると思われます。
現地でアテンドしてくれた青年は、姉がサイゴンでビジネスをしているということで数年前には本人もサイゴンに半年ほど滞在し、ビジネスをしようかとしていたとのことでした。彼のお姉さんはドイモイによって、海外企業に門戸が開かれようとした80年代末から90年代始めに、結婚直後に主人とサイゴンに渡ったそうで、台湾人のバイタリティーを感じさせるエピソードでした。サイゴンの中華街には台湾も含め、東南アジアのあちこちから、そうやって流入しているようです。

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2007年11月13日 (火)

コレラ

連れ合いがまたメールを送ってきました。何でもベトナムでコレラが流行っており、日本人にも罹患者が出ているとのこと。
あるフィリピン人女性は、道端のフォー屋さんでフォーを食べ、感染したと見出しの写真にフォーの屋台が写されており、屋台での食事が感染の契機となっているとの注意が促されています。
ベトナム旅行中の屋台での食事は楽しみの一つなのですが、気をつけざるを得ないようです。

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2007年6月 6日 (水)

海外旅行2

先週、ビザ申請書類を出して、しばらくは審査で時間がかかるだろうと思っていたら、連れ合いが、大使館から連絡があったと宣う。何かと思うと、追加の書類要請が必要とのこと。
いったい、何の書類?と思っていたら、

・ビザ申請にあたっての連れ合いへの資産使用許諾書
     これは私が連れ合いの保証人になっている形のため
・私のパスポートの写真があるページのコピー

ですと。去年の申請のときには、こんなもの要求されませんでした。年々厳しくなる審査の要求。ベトナム人の信用は年々落ちているのでしょうか?

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2007年5月25日 (金)

海外旅行

連れ合いが夏に海外旅行に行く準備を始めています。
ベトナム人の海外旅行は、ASEAN諸国であれば、ほとんどビザがいらなくなったのですが、それ以外の国へは、やはりビザの取得が必要で結構厄介です。
収入の証明や銀行残高の証明など財政面、会社で働いていることを示す在籍証明、結婚証明など家族関係、旅行の目的など。滞在先が個人の家だと、その人の関係の証明として、やり取りした手紙や招聘状、招聘者のIDなど。アメリカやオーストラリアなど、移民で成り立っている国も不法滞在者が多くなったため、返って厳しくなっているような感じがします。前はこんなに厳しくなかったよねとぼやきながら、いろいろな書類を取り寄せ、いろんな項目を埋めなければならないビザ申請の書類を埋めています。さて、今回は何ヶ月かかることやら。

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2007年3月17日 (土)

テト滞在記8 ーお買い物ー

連れ合いが日本に帰ったらベトナム雑貨を売ってみたいというので二人で買い物に行くことにする。テトの後とて、開いているお店が少なかった。
バッチャン、ハドンは既に行ったので、ハノイ中心街へ。最初はドンスアン市場。テト5日目ではほとんどのお店が閉まっており、開いているお店の人に聞くと6日目あたりから開けるお店が多いとのこと。市場から旧市街を歩き、タクシーで親戚の家に行ってバイクを借りる。

 
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2007年3月10日 (土)

テト滞在記7 ーハノイの風景ー

テト前の金柑市場。テトの時には家の前や中に金柑や桃/梅を飾る風習があるので、花市場は金柑や桃/梅を売る人、買う人で大にぎわい。

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道ばたでは子供にあげる?風船を売る人がいて賑わっている。うちの子も買ってもらっていたよう。

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これは何に使うものか聞かずじまい。

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これは家の前に飾っている桃。

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2007年3月 8日 (木)

テト滞在記6 ーお年玉ー

ベトナムにもお年玉の習慣があります。でも、これはちょっと日本と違っていて、大人が子供にあげるだけでなく、年少者が年長者にあげることもあります。
興味があったので、今回はどんな風にあげるのかなと観察していました。ベトナムにもお年玉袋があるのですが、ほとんどの人は使わず、むき出しのお札をあげていました。まずは、お正月のご機嫌伺いに行った先の子供にあげるケースが多く、額は二万ドンから五万ドンというところ。この額は、子供が相手でも大人が相手でも変わらない感じでした。子供はやっぱりうれしそうに受け取っていましたね。大人は縁起物という感じなのか、額も大人にとっては大した額ではないので、淡々と受け渡ししているように見受けられました。

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テト滞在記5 ー新年会ー

連れ合いから、義母のふるさとで新年会をやるからねと引導を渡され、成り行きを想像して暗澹たる気持ちになりながら向かう。何せ、言葉は通じない、相手が誰かの紹介もしてくれない状態(紹介してくれてもたくさんいすぎて分からない)なので、いたたまれないのだ。
久しぶりにその家に着くと、先祖(というか義母のおじいさんあたり)を祭る祭壇やその祭壇をおさめている建物がきれいに新しくなっていた。家に着いたところで連れ合いはさっさとどこかへ消えている。仕方がないので、適当に座り、顔を覚えている親類に挨拶。やがて、料理が運び込まれ、宴会が始まった。飲み物は自家製の薬草酒や蜂蜜酒。多分米から作ったであろう焼酎にいろいろなものを漬け込んで熟成させたもの(だろう)。
Img_1767正月料理のバイン・チュン

こういう状況になると酔っぱらった方が勝ち。勝手に注いで飲むわけにはいかないので、自分の肺をあけながら周囲の様子を見て、酒を注ぎ、自分の杯への酒を促す。酔ってくると少しは口が滑らかにになってくる。義母のお兄さんが寄ってきて、ベトナム語の勉強はどうなったんだ?私は年寄りで日本語の勉強ももうできないから、お前がベトナム語を勉強して話しができるようにする約束だったろう?と迫ってくる。すみません、約束だったのですが怠け者で・・・と私。
銀行に勤めているという連れ合いのいとこの旦那さんが久しぶり・・・と言って話しかけてくる。そういえば、結婚披露の宴会で会ったような。その娘さんは英語ができるとのことで、しばらく話しをする。高校生というのに、割合しっかりした英語を話せるのは立派なものだった。
さんざん飲み食いした後、ようやく散会。酔ってしまった後は、割合楽しい新年会なのでした。

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2007年3月 5日 (月)

テト滞在記4 ーお店は休みー

ビデオカメラを盗まれて失意のうちに香寺を去った後、友人が絹製品を買いたいということなので、ハ・ドンに向かう。何度行っても、ハ・タイの中にハ・ドンという町があるというのは妙な気がする。
ハ・ドンはハノイに隣接していて、今やほとんどハノイ市と一体化している。
正月も三日目だが、多分開いていないだろうなという予感通り、ハ・ドンのシルク製品街はほとんどの店がまだ閉まっていた。わずかに開いている店に観光客とおぼしき西洋人がたむろしている。
正月らしくてこういう風情もまたよしと。

二日後、ドンスアン市場に行ってみたときにも、はや正月5日目というのにやはりほとんどのお店が閉まっていた。通りに面している側の観光客向けのお店だけわずかに開いていた。お店の人に聞くと、ほとんどのお店が六日目あたりからようやくお店を開けるとのことだった。
サイゴンでは今や正月もなくお店を開けているらしいけど、さすが偉大なる田舎町、ハノイは昔ながらの風情でらしいなと思わせてくれたのだった。

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2007年3月 1日 (木)

テト滞在記3 ービデオカメラを盗まれたー

三日目、在日ベトナム人の友人を連れて、香寺へ行くために早起きする。なんでそんなに早く出るんだと思うくらい、早い。出発は4時半。まだ、夜の闇の中、車は疾走する。ハノイの町中は、工事現場があちこちにあり、再開発の真っ最中。郊外の工業団地も大きな工場で賑わっている。友人は、そうした工場の視察にも行ったのだとか。
タンロン工業団地はノイバイ空港からハノイ市内に向かう道沿いにあるが、そこにはキャノンプリンターの全世界向け巨大工場があったり、パナソニックやヤマハの工場があったり、二期までは既にいっぱいで、現在三期の入居企業を募集しているらしい。
ハノイの南側に抜ける路上で、バイクに乗っている男が何やら叫び、そのまま車についてくる。何かなと思ったら、香寺近辺の休憩所の客引きで、そのまま香寺に一緒に行くらしい。長い道を一緒に来るなんて割にあうのだろうか?
香寺(Chua Huong:チュア フン)は、古いお寺として、また、行く工程がちょっとしたボートトリップとして、ハノイ近辺での定番の観光名所だ。しかし、ベトナム人はどちらかと言うと、お寺にお参りに行く事自体を目的としているようで、観光というのとはちょっと違う感じ。
お寺そのものには、鉄製の平底舟に乗っていく。漕ぐのは女性が多い。周りの景色は、ニンビンに多い、石灰岩質の小山に取り囲まれたきれいな景色。ハロン湾の島々が陸にあるような感じ。
Img_1696

1時間ほど船に乗って着くと、しばらく歩きお寺に参る。沿道には土産物屋が並ぶ。
お寺では、また年齢、住所などを書いた紙をお供え物と一緒に置き、一生懸命お祈りをする。ウーム、みんな何を願っているのだろう。
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お祈りが終わると、山の上の方にある洞窟へ向かう。驚いたことに、ゴンドラが山に通じ、歩いて登らなくても良いようになっていた。正月ということで、そこは参拝客で大混雑。でも、せっかくだからとチケットを買い、並んで待つことにした。ぎっしりと人が並び、一定時間ごとに階上のゴンドラ乗り場に人をあげる仕組みとなっており、改札のところで狭くなっており、我先にと並んでいる人がそこに押し寄せ、かなりの圧力になる。子供連れなので、押しつぶされるのを恐れ、子供を抱いて並ぶことにした。改札の狭い部分にさしかかった時、肩から胸にまわしていたはずのビデオカメラのケースが背中に回っていることに気づいた。悪い予感がして、探ってみると、口が開けられ中身がなかった。しまった、やられたと言うと、連れ合いと義兄がマット・チョイと叫び、列の外に出る。しかし、人は押し寄せるばかり。誰がやったのか分かる訳もなく、私は瞬時にビデオカメラのことをあきらめた。
義兄は警備員に激しく食って掛かる。が、なす術もない。せっかく撮った家族の映像も、途中のきれいな風景もなくなってしまった。

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2007年2月27日 (火)

テト滞在記2 -初詣-

連れ合いの兄弟姉妹の家族たちと食事をして、したたかに酔い、わけの分からないまま過ぎた元旦があけ、翌日は朝のんびりすごした後、友人の在日ベトナム人が遊びに来るので、空港に迎えに行く。のんびり過ごすといえば聞こえはいいが、足がなく、実質上自宅軟禁状態。都会ならば、歩いて回っても楽しみがあるが、田舎では行くところもなく見世物状態なので仕方ない。
空港に向かう車の中で連れ合いが電話を受ける。すでに空港に着いて、ロビーで待っているとのこと。あれだけ、のんびりしていればねえ。
友人は75年以前に日本に留学し南ベトナム政府崩壊とともに国籍を失って、そのまま無国籍で通している。でも、特に今は帰省にも何の障害もないそう。

Img_1616正月のお食事


家に戻り、荷物を置いて食事をした後、近くの廟に初詣に向かう。お寺ではなく、歴史上の人物を祭ったDenのよう。このあたり、説明を期待できない。田舎道を車を飛ばすが、たくさんのバイクが行き交いスピードは出せない。そのうち、どんどん人が増えてきて、目的のお廟が見えてきた。車は手前でとめて、あとは歩かなければならない。

Img_1630


お廟に着くと、義姉が、お供え物の用意をし、線香に火をつけて、お供えする。このお供えには現金を添え、お祈りが終わると親類縁者に配る。ラッキーマネーといって、財布に入れておくとお金が増えるらしい。
周りを見回すと、皆一生懸命にお祈りしている。これも信心深いというのか、ひたすら自分のことと家族の幸福を祈っているだけなのだが。

Img_1624


廟は二つに分かれていて、本山のような大きな方はもっと混んでいて、義姉にすべてを任せて、他の者は外で待つ。何やかやで、二つのお廟に参るだけで結構な時間を費やし、今日はほとんどこれで終わり。

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2007年2月24日 (土)

テト滞在記1 ー元旦を間違えたー

2/17から2/22まで、テトのためベトナムに滞在しておりました。今回はちょっとそのお話を。

2/17の朝から飛行機を乗り継いで、一路ベトナムを目指す。成田ーハノイ便は思ったよりもお客さんが少なくて、テトの時期なのに、日本は休みを取りにくいからこんなものかなと暢気に考えていました。最後のアナウンスでChuc Mung Nam Moiと言っていて、明日なのに気が早いなと後から考えるとぼけまくっていました。
ハノイに着くと手荷物を受け取り、さあ外に出ようと思って手荷物を見直すとネームタグがなくなっている。まさか名前の入ったネームタグなんて盗られると思っていなかったから、ちょっと愕然。航空会社からもらった革製の割合上質なものだけど、皮に直接名前を彫り込んでいて、再利用もできそうにないものなのに。
待合室に出ると家族が待っていて、うれしい再会。早速車に乗って、家へ向かう。車中で義母に、大晦日なのに道路に車がえらく少ないねえと話していたら、妙な顔をするので、『私の言っていること分かる?』と聞くと『分からん』と一言。なんか妙だなあとそれでも暢気な私でした。
家について一通り挨拶をして、くつろいでいると義兄や義姉がやってくる。連れ合いが『新年おめでとうと言って』と言われて訳が分からなくなる。『元旦は明日でしょ?』、『今日だよ』、『今日???』。全く、訳が分からない会話になっていたと思います。
理由が分かったのは数日後、友人の在日ベトナム人から説明を聞いてからでした。
私は旧暦の元旦を日本の旧暦の暦で探し、2/18だと思っていたのですが、ベトナムでは今回閏月の処理の仕方で一日早かったのだそう。そんな!中国でも台湾でも韓国でも春節は2/18だというのにベトナムだけ違うなんて・・・。
思いっきりぼけをかましたテト訪問でした。本当は大晦日に着いて、深夜からテト気分を満喫するつもりだったのに。

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2006年11月 5日 (日)

韓国のベトナム人

この三連休はベトナム人の友人が来ての祭り見物、温泉巡り、韓国人の友人と魚釣りと遠出はせずにのんびりと過ごしていました。
しかし、ベトナム人はおしゃべりがやっぱり好き。祭りの見物もほとんど行かず、行くといっていた買い物にも行かず、ひたすら家に残っておしゃべりをしていたよう。どこに連れて行っても同じだよねと子供の面倒を任されたもの同士、愚痴をこぼしあっていました。
食事は、ベトナム料理だったり、BBQだったり、どこのものとも分からないものだったり。
釣ってきた魚(主にキス、あとなぜか砂浜なのにチヌの小さいのが釣れて感動)をアルミホイルでハーブの包み焼きにしたのがシンプルでかつとてもおいしく、やっぱり魚は鮮度が重要!と痛感しました。

韓国人の友人は酒を飲むのを楽しみにしていたようですが、今回はこちらが胃を壊した後で自重した上に早々と寝入ってしまったので、不完全燃焼だったようです。引っ越してからは初めてだったので、家を案内すると、韓国ではこんな感じの家(日本では普通の2階建て)はほとんどないようねと住宅談義。韓国ではだいたい数世帯が階毎に住み分けるパターンが多く、それより多いのはアパートメント形式(日本でのマンション)。ほとんどのソウルの韓国人は高層アパートメントに住んでいるようです。あと面白いのが、借りる場合。住むときに2年とか4年とかの一括契約を1千万円とか払って、契約終了後に同額のお金を返してもらうシステムだとか。大家さんは、契約のときに受け取ったお金を運用して利益を出すのだそうです。最近は、この形式が減りつつあるとも言っていましたが。
韓国はソウル以外は本当に田舎で、ソウル(と近郊の京畿道)、プサン、デジョンを除くと都市と言えるほどものはない(ちょっと大げさかも)。で、そうしたところでは若い女性がソウルへ出てしまうので、結婚相手がいなくて、ベトナム人をもらったりしているのだそうです。でも、言葉は通じない、習慣も違うとかで、新聞記者が取材に来ると同行している通訳に夫や家族へ訴えたいことを通訳してもらうだとか笑えない話も。

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2006年10月16日 (月)

ベトナムの市場

久しくまともにベトナムの市場に行っていない。最近は、ベトナムに行っても連れ合いの実家に監禁状態だし。別にどこに行っていけないという訳ではないのだけど、足がないからどこにも行けない。
はじめの頃は、サイゴンだったら観光客定番のベン・タン市場にもチョ・ロンにあるアン・ドン市場にもハノイだったらドン・スアン市場やブン・ボー・ナン・ボ−のお店に近いハン・ザ市場などによく行っていました。
いろんなものをどんと置いた雑然とした感じが結構好きでした。ブン・チャーを最初に食べたのも、市場をふらふらとしていたときに声をかけられて、知らずに食べたのが最初だったし。市場には思いがけない出会いもあって楽しいです。

ウェッブを漫然と巡っていたら、そうした市場の風景を描いたスケッチがありました。

ベトナムのサイゴン
http://vnsgn.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ca6d.html

本ページはこっちみたいです
http://homepage2.nifty.com/hcmc/
アオザイ姿の女の子がとてもかわいくて、思わずページを読みいってしまいました。胸がちょっときゅんとなる物語です。

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2006年10月10日 (火)

進出先としてのベトナム

東南アジアではインドネシアに次いで人口が多いこともあり、国内市場を狙った企業進出も多かったのですが、最近は中国リスクの高まりとともに、代替進出先としても人気が出ているようです。
また、華南を含めた経済圏の製造基地として、中国本土に進出するのでなく、ベトナムという選択も最近は出てきたようです。
人気の理由としては、識字率の高さ、勤勉な国民性、政治的な安定性などが主たるところのよう。

素直な国民性や良心が健在している社会性・・・と書いているところにはちょっと疑問もありますが、最近の進出企業のレポートをしているブログがありました。
http://kupppy.s57.xrea.com/cancheer/archives/000387.html

華南地方との連動性については、以下の記事も有りました。
http://www.president.co.jp/pre/20031201/002.html

ベトナムには発展する要素は結構有ると思います。大きな富の不均衡を生まずに、バランスよく成長できるか。特に、都市と農村の格差をいかに減らすかは課題と思います。

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2006年10月 7日 (土)

階層社会ベトナム

ベトナムは社会主義国といいながら、完全に階層に分かれているという印象を受けます。だいたいは教育の程度に反映されるのか、教育が階層を作っているのか、教育が一つの目安という気がしています。
連れ合いが日本にいるベトナム人と話していても、相手の教育程度でだいたい話題の及ぶ範囲が決まっているよう。日本は最近格差が広がっているといっても、程度からするとベトナムより全然少ない。
かつてはベトナムも貧しさを分かち合う社会主義と言われ、貧富の差は小さいと言われていたけれど、それはあくまで経済的な面のみだったような気がします。お金がなく、ものがなく、ごく一部の党特権階層を除けば、みんな貧しかった。
今では、才覚のあるものは金を儲け、欲しいものをいくらでも買い、土地転がしなようなことをやって、ますます金を儲けていく。子供は外国に留学させ、より多くの機会を得ることができる。

バブルに踊ったハノイ近郊の農民の話にはこんなものが
http://www.hotnam.com/news/050301122205.html
留学したベトナム人の夢として聞いた話にはこんなものが
http://jyan-ken-poi.jugem.jp/?eid=35

市場経済化してみんな豊かになってきているけど、社会格差はどんどん開く一方のベトナム。この先どうなっていくことやら。

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2006年9月26日 (火)

ベトナム不動産投資

ベトナム人の配偶者を持って困るのは、ほとんど例外なくベトナムに土地を買おうと言い出すこと。90年代は土地利用/所有に関する法令が整備/改訂され、多少のお金を持った人たちは土地を買ってぼろ儲けをした。それを見て、我も我もとみんなが土地を買って金を儲けることを夢見て土地取引へ参入し、ベトナムの土地は信じられないくらい値上がりした。全くのバブル状態である。そうした波はハノイやサイゴンの中心部から周辺に波及し、今やだ何などの地方都市でも同様である。そうした土地取引でお金を得て破綻した人の話がベトナム関係のページにも出ていました。

http://www.hotnam.com/news/050301122205.html

人気のCafe Saigonには現金を銀行に預けるとどうなるかの顛末が
http://cafesaigon.cocolog-nifty.com/home/2006/01/post_c8d9.html

今は、バブルもはじけて土地価格も小康状態のようですが、それでもベトナム人の土地への執着は続き、また投資は膨らんでいくでしょう。ベトナム人を配偶者に持った人間への圧力もまた。

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